タトゥーを入れて10年以上たった今、感じること

タトゥーを入れていると世間的にはかなり批判の的ですね。タトゥーに関する何らかのニュースがある度に掲示板には痛烈に批判するコメントが溢れますね。

しかし私は10年以上前にタトゥーを入れた人間です。大きさは大体15センチ四方で左肩に、入れたのは23歳の頃なので多分2006年ぐらいです。

それから10年以上経って色々思う所もあり、経験者として誰かのアドバイスになれば、ということで記事を書こうと思いました。
もちろん1つの事例だというだけですから当てはまらないケースも多々あると思いますので、そのあたりは留意していただきたいです。

念のため言っておきますが、この記事は決してタトゥーを推奨するものではありません。彫らないに越したことはありません。
どうしてもタトゥーを彫るという場合は熟考のうえ自己責任のもとで行ってください。

慣れから始まる

私は地元が好きじゃなくて、むしろ嫌いだったので高校をでてからは学校もバイトもほぼ毎日大阪市内に出るという生活をしていました。

そんな中、色んな人が集まればタトゥーが入っている人も普通に周りにいます。
当時の地元だと周囲にそういう人はいなかったのですが、段々と別世界の事っていう感じでもなくなって、タトゥーが入ってる人と普通に接してたのもあってかタトゥーに対するハードルはかなり低くなってたと思います。

例えば見ず知らずのまま関わることがなかったなら「痛そうだなー」くらいで終わりますが、普通にコミュニケーションを取ってそれなりに親しくなると、多少タトゥーが入ってるってだけという感覚なので、別にその人を否定するような感情はありません。
そうなると多少タトゥーが入ってても別に特別視しません。
全身ゴリゴリに入ってたらさすがにちょっと引くというか、裏社会的な意味でヤバい人なのか?と警戒はしますけど。

慣れて感覚が麻痺していくんだと思います。
あとはミュージシャンで見慣れるというのもあると思います。自分は清春とかとか好きだったので。あとブランキーとかも当時よく聴いてましたし。

何故タトゥーを入れたのか。

憧れみたいなものも無かったわけではありませんが、当時、自分が抱えていた色々な事に対する鬱屈した気持ちや反発心によるところが大きかったです。
実際に彫りに行く事になったきっかけ自体は些細な事でしたが、当時付き合っていた女性と一緒に彫りにに行きましたね。

そのへんは当時の色々な個人的な感情とかあるので割愛します。

タトゥーを彫る流れ

経験談として流れを説明してみると、まずタトゥースタジオに行って予約します。
そのタイミングでデザインを彫師と相談して決めます。
私が行ったときは彫師が不在だったので施術当日にデザインを決めました。

料金についてはサイズ単価でした。店によっては時間単位の場合もあるので事前に確認しておくべきでしょう。1時間単位で○万円みたいな感じの店もあるようです。

当日彫った後は家に帰って熱めの風呂に入ってケアを行います。
数日傷が治る過程で痒くなるのを我慢しないといけないのですが、私はさほど痒くはならなかったですね。

タトゥーを入れて何が変わったか

特に何も変わりませんね。私の場合は基本的に隠れているので気付かれない場合も多かったんだと思います。
自分的には彫る時の痛みを乗り越えた、とかタトゥーが入った事に対する満足感とかでしょうか。後戻りできないし頑張らねば、みたいな感情も湧いたと思います。

タトゥーを入れている人に思うこと

場をわきまえるべきだとは思います。あまり見せびらかすのはやはり褒められたことではないですし、不愉快に感じる人がいるので基本的に人前では隠すべきです。

少なくとも私は常時見えるような服装はしませんでした。
Tシャツの袖からはみ出て見えてしまった分については容赦していただきたいですが、ノースリーブで外出した事などありません。

DKGM

むやみに見せびらかすのは品がないように思います。

タトゥーを批判する人に思うこと

わずかでも入れている人に対していちいち魔女狩りのようにバッシングをするのはどうかど思います。身内でも殺されたのか?と思うぐらい憎しみに溢れたコメントをしてる人は一体何なんですかね。

タトゥーを嫌うのはその人の自由ですけど、タトゥーを彫ること自体が犯罪行為ではないですし、全身に入ってるのを見て引くのはまぁ多少理解できますけど、ほんのワンポイント程度が入ってても過剰に反応しますよね。
結局は狭量な人なんだろうなぁって思いますね。ちょっとでも異質な存在を認めない!みたいな感じでしょうか。
自分と違う人間を認めず、無条件に攻撃する様な人なんだろうなぁ。こういう人のほうがよっぽど危険な気がします。

親から貰った大事な体に~

定番ですね。自分の体を大事な価値のあるものだと思えるということは素晴らしいことです。きっと立派な両親に育てられ、自分自身の肉体や能力に、そして親に誇りをもてるような良い人生なんでしょう。
でもクソみたいな親の遺伝子を持つことや自分の能力・身体的特徴に自己嫌悪する人だっているのですよ。だからピアスやタトゥーという体を傷つける行為に対するハードルがそういう方々より低いのかなぁと思います。クソ親のもとに産まれたらそんなもんどうでもいいですね。

入れるメリットが無い

「入れたらデメリットがある」という意見については大いに理解できるんですけど、別にメリットを感じて彫るものでは無いと思うので、これは一番的外れな否定的意見だと思います。
それならば逆に、例えば買い物した時にポイントが多く付くとかメリットがあったらそれ目的で彫るのか?いや、そういうことじゃねえだろ、と。
毎度思いますけど、これを言う人は物事の本質が理解できてないんじゃないかなと思います。

入れる奴は馬鹿

それも一つの価値観だから別にそう思うのは自由だと思います。
全否定するならタトゥー入れてるミュージシャンの曲は一生聴かなくていいよ。

入れている人には関わりたくない

狭量だとは思いますが別にそれでいいんじゃないでしょうか。それをあえて言う必要は無いと思いますけど。

今の自分はどうか

今では別に消してもいいかなとも思います。ムリに消す必要も無いんですけど不便な事も多いですからね。
タトゥーは入れるより消すのがよっぽど大変で、費用がかかって、痛くて、なおかつきれいな肌には戻せないみたいですので、消すなら消すで「消すぞ!」という決断と強い意志が要りそうです。

タトゥーを入れようとしている人を止めるには

将来子供と温泉・プールに行けなくて後悔するだの周囲から浮くだの就職結婚で失敗するだのというデメリットを引き合いに引き留めようとするのははっきり言って無駄だと思います。
なぜなら本人はとっくにそんな事は理解しているから。考えた上で自分の中で折り合いをつけて結論を出しているから。
そういうデメリットを挙げて「えっそうなの!?じゃあ止めよ。」なんていう人はまずいないでしょう。

私は彫る少し前に反対されるの解ってて一応母親に言いました。もちろん反対されましたし、上に挙げた様な事で止めとけと言われました。
その時思ったのは「そんな事とっくに理解しとるわ」という事だけでした。表面的な事で否定をしたところで今更何言ってんだ?だし、人によっては反対意見に対して余計に反発して意地で入れようとするかもしれません。

本当に止めようと思うならそんな表面的な事で否定するよりもまず「何故彫ろうとしているのか」「何をどこにどういう意味を込めて彫ろうとしているのか」「どういう心理状態なのか」ということを引き出すことが必要だと思います。

それについてディスカッションして、何か矛盾することがあるのであれば矛盾を突いて「彫るにしても一生のことだからもう少しちゃんと決めてから彫ったら?」とか「それは将来的に解決する問題じゃない?その時になって入れた事を後悔するかもよ?」という感じに話を持っていけばいいかと思います。

ちゃんと決めた上で彫る事になるかもしれませんけど、それでも曖昧なままに彫るよりはいいのではないでしょうか。

矛盾を突くとか何か逆転裁判とかダンガンロンパみたいですけど、引き留めるにはこれが一番いいかなぁと思います。
単なるミーハーなのは除外して、タトゥーを入れる理由は大抵何らかの決意や意味を込めて入れるような場合がほとんどだと思います。
だから、その理由や意味はどうしても彫らないといけないことなのか、というところを追求すれば良いのではないでしょうか。

一番なのはそういう事に傾倒しない、真っ当な生き方をすることだと思います。でもそれは本人の素質だけでなく育った環境なども大きく関わってくると思います。

真っ当な人間に育つには

タトゥーのこととは少しそれますが、残念ながら私の育った家庭環境はよろしくありませんでした。様々な負の感情を抱え続けて生きてきたからこそ、人が正しく育つには何が必要だったのかが自分なり解る気がします。(もちろん自分なんかよりも厳しい境遇の人が沢山いるのは解っています)

心が真っ当な人間に育つには、自己肯定感が必要だと思います。もう少し掘り下げると、「自身の存在の肯定」と「成功体験」です。
その上で「自分の信念を持つ」ということが大事だと思います。

存在の肯定

私は父親と折り合いがつかず、それ以外にも色々な事で幼少期からすでに自分の存在理由や存在価値にずっと疑問を抱いたまま育ってきました。
自分の存在価値を求めると、普遍的であるということが嫌になります。周囲の人間とは異なる自分に価値を見出すのです。
それが良い結果に繋がる場合もあるとは思いますが、こういう考えが道を逸れるきっかけにもなるということですし少なくとも健全な考え方ではないですね。人によっては非行に走るケースもあるかもしれません。

環境などによるのでどうこう出来ない場合もありますが、幼少期からある程度の歳までに親が子とどのように接するかというのは人格形成の上でとても大事なことだと思います。

成功体験

人より優れた能力を持ち、最初から結果を出せる人も居るでしょうが、何もせずに成功するのは難しいです。だから日々の生活をどう過ごさせるかが大事なのです。具体的には幼少期から習い事をさせることでしょうか。

幼少期には体操をやらせるといいんじゃないかなと思います。
全身を鍛えつつ体の使い方を覚えるから後々本人がやりたいと思うどんなスポーツにも応用出来ると思います。
他には陸上でしょうか。走ることはあらゆるスポーツ基本だし、足が速いと運動会・体育祭なんかではヒーローになれますよね。

体操にしろ陸上にしろ、競技をさせるのが目的ではなく、子供の体を成長させるための手段として選択すればいいのです。
いずれにしろ、頑張ることができたらきっと同級生の中でもスポーツが出来る側の人間になっているはずです。そういう事実を根拠に自分に自信を持つことが出来るのです。勉強も同様ですね。努力して生み出した結果が自信につながるということを理解させるのです。

私はほぼ放置だったし、そもそも虚弱体質に生まれた時点でお察しです。

外で遊んだところで、本格的なスポーツやトレーニングをするのとは全然運動レベルが違う訳ですし。じゃあそういう人とは能力に大きく差がつくのは当たり前だし、勝ち負けに拘る意味を感じないというか、負け戦が当たり前になり、勝負事を最初から諦める人間になってしまいます。

それで現実がつまらなくなると漫画やゲームのような創作物が異常に楽しく感じる、だから余計に現実に抗わなくなる、という悪循環に陥ります。

こういう心理状態も引きこもりになる原因の1つではないでしょうか。もし現実を楽しみ、自己を心から肯定できるのであればありのままの自分で居ることができるはずです。

色々脱線しましたが、結局のところタトゥーを彫っても別に何も変わらないっていう事と、真っ当な人間に育つには周りの大人が正しく導いていく事が必要、ということですかね。

まぁ自分もそれなりにしんどい思いを抱いて生きてきた中で出した1つの答えなので、誰かの参考にでもなってくれたら嬉しいです。

2件のコメント

「タトゥーを彫っても別に良い事は何もないよ」って「入れるメリットが無い」ってことじゃん。
「入れるメリットが無い」の項目で説明しているのは副産物的なメリットが無いということであって
タトゥーを入れることに本質的価値はないし、それを認めてるよね。
やはり頭が悪いからタトゥーを入れるのかな?と思うと説得力のある記事でした。

とても参考になる記事でした。
このブログの読者ではなく、検索で偶然通りかかってこのページだけ読みましたが、著者の独自の経験とそこから得られた人生訓が見事に抽出され、わかりやすくまとめられているなぁと感心しました。

特に為になると思ったことは、タトゥーのことよりも“色々脱線しました”の部分です。

1.本当に止めようと思うなら表面的な事で否定するより
「何故彫ろうとしているのか」「どういう心理状態なのか」を引き出す。

2.心が真っ当な人間に育つには自己肯定感が必要
→ 掘り下げると「自身の存在の肯定」と「成功体験」。

3.現実がつまらなくなると漫画やゲームのような創作物が異常に楽しく感じて余計に現実に抗わなくなる
→ 悪循環。

実は私もタトゥーを入れてる人に対して「頭わるそー」という嫌悪感を持っているのですが、それでもまだ「なぜ彼らはタトゥーを入れるのだろう?」と、興味や関心を持つ程度には親近感というか人間味を感じるので、極端に嫌いなわけではないです。

しかし、我慢ならぬほど大嫌いで1ミリも近寄りたくない人種が、いわゆる「オタク」です。単なる専門性や嗜好性を意味する健康オタクや旅行オタクとかは全く問題ないのですが、漫画やアニメばっかり見てて、その上ずっとゲームやってるあの連中だけは最大級に嫌悪します。

自分も稀にテトリスみたいなゲームを息抜きでプレイはするものの、ゲーマーみたいにそればかりへ熱中する人々には「気持ち悪ぃ~」と妙な嫌悪感を抱く理由が、この記事を読んで明確化された気がしました。ゲームにも色々な種類があるし、単に面白いから熱中してるだけであらば健全なのでしょうけれど、どうにもこうにもオタクや引きこもりと親和性が強すぎて、現代の(特に日本の)ゲーム業界などは、ズブズブと汚染されている気がします。

失礼、わたしも話が脱線してしまいました。

とにもかくにも、「自己肯定感」は超大事なのだと再認識した次第であります!
思うに、なぜオタクにはロリコンが多いのかと申しますと、この自己肯定感の欠如と人格の未熟さゆえ、成熟した女(メス)と対等に付き合える「男(オス)としての自信」を失っており、必然的に性欲の矛先が未成熟な女性、つまりは“少女”へと向けられるのであります! 結果、マンガやアニメやゲームといった創作媒体に、この卑屈で下劣な精神にとって好都合な格下的存在である“妹”や“ドジっ子”といった属性を持つ年下の女が散見されるのも、上記の推論を持って当然の帰結と言えましょう!!

失敬、タトゥーと全く関係のない話になりました。

僕はむかし、漫画やアニメをよく見てました。
悪循環にまでは至りませんでしたが、それでもこの「現実がつまらなくなると漫画やゲームのような創作物が異常に楽しく感じる」というフレーズは、素晴らしく言い得ていると思います。未だにオタクを見ると腹立たしく感じるのは、自分の中にまだ健全ではない下劣な精神や劣等感のようなものが残っていて、だからこそ似たような性質を持った対象(例えばゲーマーなど)を見つけると、そこに自身を投影してしまい、非難したくなるのかもしれません。

となると、他人をバカ扱いしたり、異質な人間(タトゥーを彫る人とか)を見下したくなるのも、結局は私の頭が悪い、つまりはバカという証拠なのかもしれませんね。

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