ここ最近親ガチャという言葉が飛び交っているみたいですね。
世の中的には賛否両論ですが、個人的には「割と共感するけど、言っててもしょうがないよね」という結論に至ってます。
そういう風に腑に落ちているのもある程度歳取ったからだと思いますが、今苦しんでいる方にとって少しでも参考になればなーと思います。
目次
親ガチャとは
生まれ持った容姿や家庭環境などを選べない、当たり外れがあるという事をカプセルトイやゲームのガチャ(くじ引き)に例えたネットスラングです。
ブラックジョーク的な感じで言ってる程度なので真に受けなくてもいいのでは?と思うのですがどうやらこの言葉が社会問題化してるようです。
親ガチャ要素
自分なりにちょっと考えてみました。
項目 | 良い | 悪い | 補足 |
---|---|---|---|
出生地 | 先進国 幸福度の高い国 | 貧困国 紛争地域 | 場合によっては地獄を見る。 早世の恐れあり。 |
人間性 | 高い | 低い | 人格形成に大きな影響を及ぼす。 |
経済力 | 富裕 | 貧困 | より良い衣食住環境だけでなく、 旅行やレジャーなどの様々な体験や 様々な教育機会を得る。 心の豊かさにもつながる。 |
知能 | 高い | 低い | IQは遺伝要素である。 親の教育への関心度合いにも影響を及ぼす。 |
容姿 | 高い | 低い | 外見の遺伝要素。 自己肯定感に影響する。 |
身体能力 | 良い | 悪い | 身体能力(運動神経)の遺伝要素。 |
遺伝性疾患 | なし | あり | 難病を患った場合、 相当ハードモードになる恐れがある。 |
パッと挙げただけでも結構いろんな要素がありますね。
運要素のものと努力でカバーできるものがあります。
出生地と人間性は最も重要なんじゃないかなと思います。
先進国で衣食住と教育を受ける事ができるというだけで世界基準で見ると相当良い方だと思います。
今日食べるのもままならない、という環境だと生きるだけで必死で、勉強などの努力以前の問題ですからね。
しかし日本に生まれてもニュースで取り沙汰されるような虐待死などのケースもあります。
経済力なんかももちろん大事な要素ですが、家族が明るく円満であることがまず一番幸せに育つためには必要な事なのではないかと思います。色々な事に前向きになって、学力や身体能力といった努力でカバーできるような事は後から勝手について来るんじゃないですかね。
自分対親の関係性だけでなく、親同士が仲いいかも大事です。親同士が不仲・DV・陰口とかだとまず心が荒みますよね。
結構何でも「全部自己責任」みたいな言い方する人見かけるんですけど、自分が努力できるかどうかという事だって環境や遺伝子も関係しているんじゃないかなと思うんですよね。
よくよく考えたら自分自身が親の遺伝子で構成されているわけですから、親と別個体である自分自身が自己を確立しているように思えますが、実は人格すらも親の遺伝子が作ってるのでは?とも感じるのです。努力ができるという事は実はそれ自体がすごいことなのかもしれません。
親ガチャについての私見
まず前提として親ガチャによる出自の差があるのは事実だと思います。
日本の中の一地域の同級生だけでも、とても恵まれた家庭の子もいればものすごく荒れた家庭の子もいますよね。
この世は平等でもなければ公平でもないという事で、親は選べません。本人の努力だけではどうにもできない事がたくさんあります。
なので親ガチャという言葉自体を一方的に否定するのはちょっと違うかなと感じます。なんていうか、臭いものに蓋的な感じで現実から目をそむけてるように思えます。
かと言って「親ガチャ失敗したから・・・」といって諦めや怠惰の言い訳にしたり、卑屈になったり自虐的になってはいけないとも思います。
自分も昔は結構その辺りの思考で本当に長いこと苦しんでいました。
ですがネガティブに考えてもずっと辛いだけなので、同じような事で苦しんでいる人もそういう思考に陥らないようにポジティブに考えるように考え直してほしいなと思います。
「親ガチャ」というのも結局は他人との比較から生まれた言葉なのです。
だからとにかく他人との比較をやめる。
嫉妬心や他人を羨む気持ちが湧いてしまった時の対処法を自分なりに見つける。
これだけでも大分気持ちが楽になります。
他人がどうだから、ではなく自分がどうありたいか、を考えていきましょう。
大事なのは前向きになることなので、まずはありのままを受け入れ「じゃあ次どうステップアップしていこうか」という事を考え挑戦していくようなポジティブな思考に変えるように努力してほしいと思います。
また、自分が親ガチャに外れたと思うのであればできるだけ自分の子にそういう思いをさせないよう、またはそういう事を言われないような育て方をすれば良いのではないでしょうか。
否定意見について
どちらかというと親ガチャ肯定派なので、散見される否定意見についての私なりの回答を考えました。
不謹慎だ・失礼だ
感情的になってるだけで本質が見えてないのでは?
否定するなら倫理でなく論理で否定すべきかと思います。
こういう事言う人に限って大体親ガチャ当り組だったりするんじゃないでしょうか。
本当にキツい思いをして生きてきた人だけ言う権利があるかなとも思うけど、そもそも論点はそこじゃないと思います。
甘えるな・親のせいにするな
内容によると思います。
明らかに親に問題がある場合の考慮はあって然るべきと思います。もちろん本人が努力するという事が大前提ですが。
こういう事言う人は大抵、たまたまそれなりに成功して自分の人生に満足してて上から目線で言ってるだけにも思えますね。
逆に親ガチャ言ってる人の状況も知らずに、偉そうに頭ごなしにそんな事が言えるって相当傲慢な人間に思えます。
親ガチャとか言う時点で子ガチャが失敗
順番が逆でしょう。
自分の能力・財力など検討材料はいくらでもあるので、作らない選択肢もあったはずです。
子は親の遺伝子と与えた環境で育成されているのです。
子ガチャが失敗なのは親の遺伝子や言動、用意した環境に問題があるからです。
そういう事を言われないような育て方、接し方をしなかった親側に問題があるのでは。
まとめ
自分ではどうすることもできない運の要素がこの世の中にはあります。
「親ガチャ」という言葉の言い方云々はともかくとして、そういう現実なのです。
自分の場合は先進国でそれなりに治安も良く、インフラの整った日本で生まれた事はとりあえず良かったなと思えるのですが、特に親の人間性が許せなくて親の産物である自分自身を否定しまくってましたし、頑張ろうにも遺伝や環境に色々と足引っ張られてるようにも感じていたので「親ガチャが~」と言いたくなる気持ちはかなり理解できます。
血縁関係はある種の呪いですらあるわけです。
ですが、そういう事を言ってても非生産的ですし、どんどんネガティブ思考になってしまいます。
親を客観的に見て人間的にヤバいなと思ったのであれば、年齢を重ねて大人になったら少しでも早く自立して親元から離れるようにしましょう。実は知らずしらずのうちに多大な影響を受けているものです。
人の数だけ遺伝や環境は千差万別な訳ですが「親ガチャ」という言葉を逃げ口上に使うのではなく、一旦現実として受け止め、自分はどう生きたいか、どんな成功を目指したいかというポジティブな思考に切り替えて生きていきたいものですね。
そして本当に大事だと思うのは他人と比較して苦しまない事です。
比べるから苦しいのです。
他人ではなく自分に軸をおいて物事を考えるよう心がけましょう。
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